煎茶

もともと中国での煎茶の歴史は長く、茶葉を煮て抽出したものを薬用として利用していた記録が3000年以上前、実に紀元前からあると言います。 しかし、日本が唐や宋時代に大陸に大使を送り、文化を吸収し始めた頃には、その文化は廃れていて、代わりに抹茶の文化が栄えていたため、日本に最初に伝来したのは抹茶でした。 お茶の文化が広く普及したきっかけは、安土桃山時代の著名な茶人、千利休が日本の茶道を大成させたことに集約できるでしょう。 中国では利休の活躍する以前から明の時代に入っており、製茶法が発達したことで再び抹茶が廃れ、煎茶の文化が盛んになってきていました。 中国から伝来したこの煎茶の文化が、千利休によって起こされた日本のお茶文化の流行の波に乗り、大きく各地に飛び火したというのが一般的見解ですが、隠元禅師や石川丈山、高遊外賣茶翁という様々な説があり、最初に誰の手によって広められたのかは未だに謎のままです。 江戸時代中期には現代の製法の基礎に通じる宇治製法が永谷宗円によって開発され、焙炉による乾燥技術も進み、茶葉の色、香り、奥深い風味を損なわずに加工することが容易になったほか、これを受けて蒸された後に茶葉を揉む工程が追加され、おおよその形が江戸末期には整うようになりました。 現代とほぼ同じように製法や評価基準に統一感が見られ、機械化が進んで等級毎に大量生産が始まったのは明治時代のことです。 そう考えれば、狭義の煎茶の歴史がとても浅いことに気付くでしょう。